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私が見た戦争

■2015/07/10 私が見た戦争
私が見た戦争

先日、法事の帰りでのこと。

珍しく顔を見せた叔母。一番下の妹です。父は下から2番目。

どうやら話の内容は彼らが5歳と8歳の時のことのようです。

父「俺たちの故郷っていったら、やっぱりあの世田谷の家だよなぁ」

叔母「そうね。あそこで高校生まで育ったよね」

父「親父と兄貴がもう少し上手くやってたら、あの家は手放さなくて良かったかもしれないな」「まさか、大日本帝国銀行が潰れるなんて誰も思わなかったと思うけど」

叔母「お父さんは、うちにある金庫に家族が生活できるだけ蓄えがあるから心配はいらないと言ってたわ。お母さんも、お兄さんが帰ってきたら生活は変わるからと言ってた。でも、変わるどころか引っ越すことになったよね」

しばらく、そんな話は続きました。

父「兄貴は戦争から直ぐに帰ってきただろ?オヤジはきっと軍人と繋がってたんだよ」

父「じゃなきゃ叔父さんも(長女の夫)次の日には弾薬を背負って戦車に突入するはずだったのに死なずに帰ってきたんだから」


弾薬を背中に???沖縄の特攻兵の話は聞いたことあるけど東京近郊でもそんな事が?


父「あんなに大変な時にうちには砂糖もバターもあったよね。疎開先にも送ってくれてたと後で聞いたけど僕の口には一度も入らなかったけど…」

叔母「元春ちゃん(父)本当に可哀想だったわね。みんな疎開先から引き戻そうと言ってたのよ!」

叔母「それにね、銀行には1万円(現在では一億らしい)入ってたんだって。家族は十分に養える(10人兄弟ですが)とお父さんは言ってたのに」

叔母「私はね、あの金庫がどうなったか、また本当にあったのかわからないけどね、もしそれが本当だったとしても金庫には何もなかったと思うの」

父「俺もそう思う」

二人のやり取りは暫く続いていたけれど私は幼き日の二人の姿が目に浮かび本当に切なく悲しく戦争はやってはいけない最低の行為だと改めて感じました。

ほんの数十年前、日本は悲惨でした。今、私がここにいるのは奇跡です。父や叔母が必死に生き抜いた結果がここにあります。

金庫やお金は家族のために、おじいちゃんは守りたかったと思いますがお金に変えられないものを守ったのだと思いました。

だって、10人の兄弟はみんな生き残ったのですから。

しかし、尊い命が沢山奪われたのですから生きている人は天寿を全うするのが使命だと思います。

私は益々、両親やその両親を守った祖父母に感謝したいと思います。

皆さんも、自分のルーツを知る事は歴史を知る事でもあるし未来を創る事だと思います。

終戦記念日を前にご家族で話し合われたら良いのではないかと思います。生きる事の素晴らしさを改めて実感できる事でしょう。


福寿草の花言葉は

「幸せを招く」「永久の幸福」「悲しき思い出」

矛盾する二つの意味。ではありますが悲しい思い出は喜びの為にあるのかもしれませんね。

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